2011/07/16

フォスター(Foster)の人生

フォスターの作曲家として人生が「劇的」なため、その後のお話を少ししたいと思います♪

実業家の父や兄のもとで生活していたフォスターでしたが、プロの作曲家として歩みだします。
当初黒人歌作家を名乗るのをためらっていた爲、「故郷の人々(スワニー河)」を作曲し、作家名を15ドルで依頼者へ売却。
http://www.youtube.com/watch?v=H9z90ie9oV0
その曲が空前のヒット!しかし版権が戻るのは死後15年後だったそうです。

人種差別的内容を含むミンストレルビジネスに取り組む決心をしたフォスターは、「ケンタッキーの我が家」では黒人なまりを取り去り、前に述べたように人種のへだてなく当時のアメリカ人が持っていた郷愁(ノスタルジー)を結実させたのです。

「金髪のジェニー」は、妻をモデルにしたもので、幸せな生活を送っていましたが、1855年 両親と兄の死により生活が一変し、借金暮らしへと転落・・・
全ての版権を売り、朝作曲し、昼売却、夜文無しというすさまじい生活となり、ついには妻子も離れていってしまいます。
生活は孤独と飲酒で変貌していきます。浴室で転倒し負傷し、病院に搬送されましたが、発熱と出血多量で1864年37歳の若さで亡くなってしまいます。その時の所持金はたったの小銭38セント。
その2カ月後に発表されたのが「夢路より」でした。

南北戦争前夜に、人種偏見を超越しようとしたフォスターは、20~21世紀に再評価され、現在に至っています。
きれいな旋律からは全く想像できない人生を送っていたんですね~。
本当に驚きです。こういった背景を知るのも一つの楽しみでもありますね♪
(宮下和子「日本人の知らないスティーブン・フォスター」より)